家族で語る昭和の思い出 時代/出来事

戦争中は日本の街や人も攻撃されたって本当なの?B29の空襲の恐ろしさは、今でもしっかり覚えているね。

女性(72歳・パート)のエピソード

忘れられない空襲の恐ろしさ、終戦の日の涙。

小学校4年生の8月、夏の暑い日に小学校校舎に焼夷弾が落ち、空襲で学校が焼け、暮らしていた村全体も焼け野原になりました。焼死体を戸板に乗せて運ぶ姿が今でも昨日のように思い出します。母は子供たちに食べさせたいため、自分の着物を農家の方へ物々交換に行きました。父は造船所に勤務し海軍の船を修理していましたので戦争に行かずにすみましたが、B29の飛行機雲を見ながら家々の軒先に隠れ、やっとの思いで家に着くというような生活でした。古ぼけたラジオから天皇陛下の終戦のお言葉を聞き、皆、涙を流したことを今でも忘れません。

クローズアップ昭和!
本土空襲(昭和17年〜昭和20年)
米軍の本土空襲は、軍需工場、製油所などのみ攻撃するピンポイント攻撃であったが、やがて大規模な無差別攻撃となる。中でも昭和20年3月10日の東京大空襲は攻撃規模、被害ともに大きかった。尚、東京は、この他100回を越える空襲を受けた。

昭和10年代ってどんな時代?

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