昭和を生きた人として、すぐに思い出されるのは、「美空ひばり」さんです。昭和と共に歩き、人々に夢や希望を与えてくれました。彼女の天才的な芸能の能力 は、昭和の歴史に刻まれることでしょう。私も物心着いた頃から、美空ひばりさんの虜になり私の人生には、いつも彼女がいました。悲しかった時も嬉しい時も 楽しい時もそして、苦しかった時も彼女の歌を口ずさんでいました。彼女は、雑草のように強い人でした。天才とか女王などと言われていましたが、彼女は、人 一倍 陰で努力をしたのだと思います。「川の流れのように」曲がりくねっても、最後には、大海に到達し、歩いてきた人生を振り返る事が出来るような気がし ます。本当の幸せは、人生の最期の時に「この世に生まれてきて良かった。」と感じた時だと思います。そんな人生を送ることが出来たならそれはやはり彼女の 影響があったからです。古い日本人の考え方が失われつつある現在に、もう一度蘇れ、日本の心。
湯川秀樹は、中間子論で日本人で初めてノーベル賞を受賞した人である。私が小学生の頃、父が「日本人だってノーベル賞をもらえるんだ。彼は昭和のヒーロー だ。」と自分の事のように熱く語っていた。「でも、この人が研究した中間子って何?」と私が聞くと、「夫婦を結びつける愛みたいなものさ。」と言った。そ の本当の内容を知ったのは、私が中学生になってからで、原子核が安定するために中間子が必要なのだった。父は間違っていなかった。易しい表現でみごとに説 明したのだ。それからは父子そろって彼がヒーローになった。ところで、初めての「昭和の日」は、私たち夫婦の30回目の結婚記念日である。私たちの中間子 である子供が誕生して、時代は平成へと変わったが、昭和のヒーローの中間子理論が、変わらずに私たち夫婦を結びつけてくれている事に感謝したい。
長年の大相撲ファンである私は、本場所を迎える度に思い出す力士がいる。かつて昭和の相撲人気を背負って立っていたといってもいい名横綱双葉山のことであ る。「双葉の前に双葉なし、双葉の後に双葉なし」と言われ、心、技、体のそろった無敵横綱であった。双葉山も昭和14年1月春場所。平幕安芸ノ海に破れ、 不滅の69連勝で記録がストップした。私は小学校入学前の昭和15年春場所。父と共に当時の両国国技館で唯一度だけ双葉山の土俵入りを見た。太刀持ち名寄 岩、露払い羽黒山であった。双葉山は子供の頃から右目が不自由であったにもかかわらず、常に相手の力士の呼吸に合わせて立ち絶対待ったをしなかったとい う。引退後、そのことが公になり、ファンは改めて双葉山の人柄に感銘をうけたといわれた。その後は協会の理事長として大相撲の発展と改革に尽力した。私に とって昭和のヒーローは名横綱双葉山以外には考えられない。






